回顧録 No.3

ある得意先が、その商品を取り扱ってくれることになりました。
販売を開始すると、これがまた驚くほど売れるのです!
みるみる在庫がなくなり、メーカーに追加発注を繰り返すことに。

イベント用の商品はまったく売れない状況の中、その商品だけはどんどん売れていきました。
このとき、「商売は自分たちの都合ではなく、市場が決めるものだ」と痛感しました。

すると、状況は一変。
取り扱いを断っていた他の得意先からも問い合わせが入り始めたのです。
散々「売れない」と言っていたのに…。

とはいえ、これも商売。
ありがたく商品を並べてもらい、横浜の市場でも少しずつ露出が増えていきました。
さらには、取引をやめていた得意先との関係も、この商品のヒットをきっかけに再開。
少しずつですが、取引先も増え、売上も伸びていきました。

「やっと希望が見えた!」と思ったのも束の間。
決算が出ると、まさかの大赤字…。
はっきりした数字は覚えていませんが、確か 2,500万円の赤字 だった気がします。

このままではまずい…。
そう思い、やる気スイッチが入りました。
新規開拓、新商品の開発を加速させていくことを決意。

しかし、ここでまた 大事件 が起こるのです…。

続く。 2025年3月24日更新

それ以降はとんとん拍子に売上が増え、念願の売上1億円を2年後に達成することができました。
最初は1億という途方もなく遠く感じた目標も、がむしゃらに走っているうちに辿り着けたという経験は、諦めないこと・計算し過ぎないことの大切さを教えてくれた気がします。

次の目標は、羽田空港で商品を販売してもらうことでした。
横浜から30分程度の距離であることから、横浜の商品も売れるだろうと考えた訳です。
なんとかツテを辿って提案の機会を頂いたのですが、描いていた通りの展開とはなりません。
ここでもまた、『横浜の商品は売れない』という前例の壁にぶち当たります。
途方に暮れていると、知り合いのメーカーさんが東京の商品を作ったということで配達して欲しいと依頼がありました。
とてもありがたいお話だったので、羽田空港の担当者と再度商談し取引開始となりました。

当初、そこまで売れないだろうという事で催事販売が始まりました。
ところが…。
これがまた、びっくりするくらい売れたんです。
そうなると店舗の方では、『もっと持ってこい!何でこれしかないんだよ!』となる訳です。
追加追加で発注するものの、全く製造が追いつきません。
当初は『これで全部です…。すみません…。』って謝りながら納品していました。
でも、配達のたびにお叱りを受けるもんですから、嬉しさ・申し訳なさはあるもののだんだん腹が立ってきちゃいまして…。
『当初の計画数量の倍は納品しています。さらに可能な限り増やしています。当初からここまで売れるって分かってればそれなりの準備ができましたが、皆さんだってここまで売れるって思いませんでしたよね!?売りたい気持ちは僕もメーカーさんも一緒です。怒って商品が出来る訳ではないんで怒らないでもらえませんか?』
ってお客様ではあるものの言ってしまいました。
責任者の方は事情は理解してくれ、何とか催事期間を乗り切ることができました。

催事での実績もあって、商品が定番になり取引が続いていきます。
ただ、その商品がいつまでも売れるとは限りませんので、横浜の売れ筋商品を紹介し販売の機会を頂けることになりました。
横浜での実績があったので、羽田でも売れると自信があったのですが結果は不発…。
それ以降も、横浜の商品を試して頂きましたが、ことごとく惨敗しました。
羽田空港は別世界なんだということを実感しました。

様々な主要売店での露出の効果もあって、取引依頼を頂いたりするようになり、そこからは2億、3億と比較的順調に売り上げを増やしていくことができ、最終的に3億5000万になりました。
何とか借金も返済でき、一人前の企業に育て上げることができました。

売上の増加に加え、5年商売を続けたことによって、当初の新参者から地元の業者という扱いに少しずつ変わっていきました。
10年を超え安定できると、完全に地元の企業として得意先様からも頼りにして頂けるようになりました。
横浜という日本でも有数の観光地に対して、自分がやってきたことの痕跡を残せたのはとても良い思い出となっています。

ざっくりとした内容でしたが、これからビジネスを始めようと思っている方や既に初めて苦戦している方にとって、何かお役立て頂ければ幸いです。
引き続きお客様にとってより良いご提案ができるようチャレンジしていきます!

終わり。2025年4月12日更新